今日は秋の大祭の日です。ゆめちゃんの家族は揃って神殿へ参拝に行きました。神殿は大勢の人たちで埋め尽くされていました。
神殿の中心は甘露台と云って六角の木の台が据えられています。月次祭や大祭の時にはこの甘露台の前でかぐらづとめが執り行われます。
厳かな中にも陽気な歌声と鳴物の音が響きます。
天理教本部の神殿は他の神社などと形が違っています。神殿には東西南北の四つの礼拝場があり、真ん中に甘露台があります。参拝も少し変っていて、四つの礼拝場から真ん中の甘露台を拝みますが、甘露台を拝むと同時に、反対側の礼拝場で参拝している人も拝むことになります。つまり、北の礼拝場と南の礼拝場、東の礼拝場と西の礼拝場ではお互いに拝み合うことになるのです。
ゆめちゃんはお母さんから、甘露台には親神様がいるのだと聞いていました。
ゆめちゃんにはまた一つ疑問が生まれました。ゆめちゃんはお母さんに聞きました。
「何で親神様の向こうの方にも人が居るの?」
お母さんは次のように教えてくれました。
「ここは四方正面鏡屋敷と云って、東西南北どの礼拝場から参拝しても良いのよ。」
「そして、親神様の向こうに人が居るのは、自分の周りの人は自分の心が鏡に映っている姿だと教えていただいているのよ。」
「自分の姿は自分では見えないでしょう。でも、ゆめちゃんが髪にリボンをつける時に鏡を見ると、曲がっているとかこの柄は好きでないとか分かるでしょ。」
「それと同じで、自分の心は自分では分からないの。自分の心が今神様のお教えに合っているかどうかを知るためには、心の鏡が必要なの。その心の鏡が自分の周りの人たちの姿なの。」
「たとえばゆめちゃんがお友達の事を怒ったり、嫌になったりすると、お友達もいやな顔をしたり悲しんだりするでしょう。」
「ゆめちゃんがにこにこしたり親切にすると、お友達も笑ったり喜んだりするでしょう。親神様はみんながにこにこと笑っている姿がお好きなのですよ。」
ゆめちゃんも怒ったり嫌になったりすることはあります。でも少し考えて、そして言いました。
「難しいね。でもにこにこするのは好きだから、頑張ってみるね。」
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