5月9日は、ミュンヘン空港からルフトハンザ航空の飛行機でドゴール空港へ、午後11時(現地時間)、パリにあるヨーロッパ出張所に到着、以後日本に帰るまでお世話になりました。出張所では夜遅いのに皆さんに出迎えていただきました。
10日の午前中は、出張所内を見学し、その後荒関隆さんの亡くなった経緯についてお聞きしました。我々ヨーロッパ訪問団(自称)の目的は、荒関隆さんのお葬式をする事と、何故荒関隆さんが亡くなったのかを知ることでした。
午後は、瀬川氏(野辺地分教会長、団長、告別式の斎主)と森内氏(田面木分教会長、告別式の斎官)の二名はパリ市街へ行き日本円からユーロへの換金と観光をしました。関西空港で換金したユーロはだいぶ使ってしまったので、市内見学等のお金が無くなってしまったのです。
私は記録の整理があったので一人残りました。
瀬川氏はドイツ語(噂によると瀬川氏のドイツ語は二十年も前のものとか)は話せるものの、フランス語も英語も話す事が出来ず、他の二人は外国語は無縁の存在で、とにかく通訳が居ないと一歩も外に出る事が出来ない状態でした。そこで、出張所の中村所員に滞在期間中の通訳を頼むこことなりました。
円からユーロへの換金はスムーズに行きました。韓国には路上の両替商が居ましたが、パリでもあるそうです。中村さんの云うには、パリは治安が悪いので現金はズボンのお尻のポケットやバックの外側のポケット等には入れない方が良いと云う事でした。
森内氏は不思議なものを見つけたと、次のように得意げに話しました。
『パリの街を歩いていると歩道で不思議なものに出会ったので、何かと近くに行って見ると、どうやらトイレらしい。試しに使ってみようとボタンを押したらドアが開いたので入った。ドアを閉め用をたして水を流そうとボタンを押すと何かおかしい。あわててドアを開け外に出た。ドアを閉めるとものすごい水の音がした。このトイレは便器だけでなくトイレ全体を洗浄するようだ。』
明日は私もパリの街に出る予定です。
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