「おふでさき」とは、千七百十一首の十七章からなる和歌形式の書物です。
おふでさきは、親神様が直々に書かれたものです。正確には、月日のやしろである教祖中山みき様が書かれたものです。
教祖のお逸話に
教祖は、おふでさきについて、「ふでさきというものありましょうがな。あんた、どないに見ている。あのふでさきも、一号から十七号まで直きに出来たのやない。神様は、『書いたものは、豆腐屋の通い見てもいかんで。』と、仰っしゃって、耳へ聞かして下されましたのや。何んでやなあ、と思いましたら、神様は、『筆、筆、筆を執れ。』と、仰っしゃりました。七十二才の正月に、初めて筆執りました。そして、筆持つと手がひとり動きました。天から、神様がしましたのや。書くだけ書いたら手がしびれて、動かんようになりました。『心鎮めて、これを読んでみて、分からんこと尋ねよ。』と、仰っしゃった。自分でに分からんとこは、入れ筆しましたのや。それがふでさきである。」と、仰せられた。
と、あります。
おふでさきは、天理教の三原典の一つです。
おふでさきは、ほとんどがひらがなで書かれています。三原典の一つであるみかぐら歌もそうですが、それで天理教はかなの教えと言われています。
おふでさきは、明治二年から十五年頃まで、教祖が七十二歳から八十五歳頃に亙り書かれたものです。
おふでさきには、
このよふハりいでせめたるせかいなり
なにかよろづを歌のりでせめ 一号 21
せめるとててざしするでハないほどに
くちでもゆハんふでさきのせめ 一号 22
なにもかもちがハん事ハよけれども
ちがいあるなら歌でしらする 一号 23
と、耳に聴くだけでは忘れ易い人々の上を思うて、いつ/\までも、親の思いにそのまゝ触れる事の出来るようと、筆に誌し、何人にも親しみ易く覚え易く、和やかに悟りとる事の出来るようにと、歌に誌されたのも、深い親心からである。(稿本天理教教祖伝)
教祖は、月日のやしろとなられてから、親神様の教えを言葉で伝えてきましたが、人間と云うものは耳に聞いただけでは忘れやすいものです。そこで書き物として残して下さったのが「おふでさき」です。
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