なむ

 隣のトメさんがやって来ました。

「ナオじいちゃん、居るかい?」

「おー、トメさんか」

「なむあみだぶつ、とか、なむみょうほうれんげきょう、とか、最初の『なむ』というのはどういう意味なんですかい?」

「子供が神様や仏様を拝むときに『なむなむする』と言ったりするな」

「南無というのは『あうん』と云うことじゃ。あうんというのは、『あ』は口を開くこと、『うん』は口を閉じること」

「そして、南無は親神様のこと」

「南(な)は、くにとこたちのみこと様のこと」

「無(む)は、をもたりのみこと様のこと」

「かぐらづとめに使うかぐら面を見たことがあるか。くにとこたちのみこと様の面は口が開いているから『あ』じゃ」

「をもたりのみこと様の面は口が閉じているから『うん』じゃよ」

「だから、南無はあうんで、親神様の事を言っているのじゃよ」

「親神様は天理教の神様でやんしょ、なんで仏教の言葉に『南無』が付いているの?」

「教祖は、仏教もキリスト教も神道も儒教も哲学も、親神様が表に現れる前(教祖が月日のやしろとなられる前)まで、教えられた教えであると言われた」

「だから、親神様が教えたという証拠に『南無』と付けたのじゃないかな」

「親神様は裏守護として仏教を教えられた。そこで、『なむあみだぶつ』じゃが、十柱の神名の七番目までを表していると云う」

「死ぬことを『おだぶつ』と云うじゃろ、これは、五番目の飲み食い出入りが出来なくなり、六番目の息吹き分けが出来なくなり、七番目の息を引き取ると亡くなるから、おだぶつと云うのじゃよ」

「へえ、初めて知りまた」

「また、七番目の『つ』だが、つは切る働き、つを止める『つとめ』は続けると云うこと。サラリーマンが会社に行くことをお勤めすると云うじゃろ、続けて行くからおつとめ、時々行くのはおつとめとは言わない」

「天理教のおつとめは、命が切れないように続くように、おつとめをするのじゃよ」

「わかりやした。あっしも長生きするようにおつとめをさせてもらいやす」