教会はどう云う所

 天理教の教祖は、信仰するものが増えてきたので、その喜び心を一つに合わせて、講を作れとおっしゃいました。

 その講が現在の教会となっています。

 講は、教祖のご在世当時だけではなく、次々と出来ました。講の信者が布教をして講を作り、親と子の関係が出来、それが次々と広がっていきました。

 講が教会と名前が変わっても、同じように教会が出来ていきました。現在もそれは続いています。

 教会は信仰する者が教理の勉強をしたり、おつとめの練習をする所です。互いに助け合って教祖の教えを学び、それを実践します。

 事情で悩んでいる人や、身上(病気)で苦しんでいる人に手を差し伸べ、親神様、教祖のお心を伝えて、助かってもらう所です。

 全世界の人間にとっての故郷である「おぢば」は、信者が住む場所によっては、何時間も掛けなければ行けない場所です。たとえば、青森からだと新幹線でも一日掛です。お金も相当掛かります。

 毎日参拝したくても、青森からは無理です。

 教会は、おぢばにある教会本部から「親神様目標」と「教祖目標」をお下げ渡し頂いてお祀りしていますので、教会の親神様や教祖のお社を拝することは、おぢばを拝することと、理は同じことであると教えられています。

 ですから、教会に参拝することによって、おぢばを参拝していることになるのです。

 教会では一月に春季大祭、十月に秋季大祭、その他の月に月次祭が勤められます。このおつとめは、教会本部からお許しを頂き、おぢばで勤められる「かぐらづとめ」の理を戴いて勤められます。

 教会には、教会本部直轄の直属教会と直属教会に所属する部内教会の二種類があります。

 また、日本国内だけでなく海外にも多くの教会があります。

 教会本部を頂点として、直属教会、部内教会が枝葉のように繋がっています。部内教会は信仰に導かれた順に親子の関係のように系統が作られています。

 直属教会は、部内教会の数が五十ヶ所以上を「大教会」、五十ヶ所以下を「分教会」と呼んでいます。国内の部内教会は全て「分教会」です。海外の教会は「教会」と呼んでいます。

 教会には会長が居て、会長を中心に活動をしています。ただし、会長は教会の主人公ではなく、主人公は親神様、教祖です。会長はいわば番頭のような存在です。

 教会は、おつとめやおたすけを通して、世界中の人達の幸福、陽気ぐらしを祈念しています。だから、教会は信者の為だけのものではないのです。どんな人でも、教会にお参りに来ても良いのです。