「ナオじいちゃん、いる?」
隣の健太君がやってきました。
「ぼく、すごいこと発見しちゃった。」
「ほう!それは何かな。」
「かしものかりものが分かっちゃった!」
おみちの教理の中で、いちばん難しいとされているのが、かしものかりものの教理です。
「ぼく、この前風邪で入院したんだ。最初は身体がだるくて、疲れがたまったのかな、ぐらいに思っていたんだ。」
「それは、二週間連続で昼と夜の掛け持ちでアルバイトをしていたからなんだ。」
「でも、寒気がして、熱が四十度近くまで上がったので、あわてて病院へ行ったら、すぐ入院してください、と言われたんだ。」
「後でお医者さんに、肺炎を起こしかけていたと云われ、びっくりしちゃった。」
「それで、一週間入院をしたんだけど、その時に思ったんだ。」
「何を思ったのかな。」
「寒気がして熱がある時は、身体が思うように動かせない、水を飲みたくても手が動かない。起き上がろうと思っても起き上がることが出来ない。」
「自分の身体が自分のもので無いように感じたんだ。」
「それてふっと思い出したのが、ナオじいちゃんから聞いたおやさまのお話で、『世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんと言うて苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある。』と云う一節なんだ。」
「ぼくは今まで、朝起きるのも、ご飯を食べるのも、勉強するのも、遊ぶのも、みんな当たり前だと思ってきたんだけと、病気になってベットの上で寝ていると、それは当たり前じゃないんだ、ということを実感したんだ。」
「朝起きるのも、ご飯を食べるのも、勉強するのも、遊ぶのも、みんな神様のお働きで身体を動かすことが出来るからなんだと、気が付いた。」
「ああ、これがかしものかりものなんだなと分かったんだ。」
「うむ、さすがわしの弟子だ、悟りが早いのう。」
おふでさきに
めへくのみのうちよりのかりものを
しらずにいてハなにもわからん 第三号137
と、あるように、かしものかりものが分からなければ、何も分からないのと同じ事だとお教えいただいています。
健太君は良い体験をしましたね。
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