何故天理教を信仰するの

 宗教はみんな同じだと言う人がいます。悪いことは教えていない、と言います。山登りと同じで頂上へたどり着くのは同じだけど、その方法が違うだけだと。

 でも、そうでしょうか?宗教によって目指すところはそれぞれ違います。特に天理教は。

 天理教は陽気ぐらし社会を目指しています。

 陽気ぐらしとは何でしょうか?天理教では次のように教えています。

 明るく勇んだ心、それは陽気な心である。この陽気な心で日々を送るところに、真の幸福があり、生き甲斐がある。いか程長く道をたどつても、心が勇まずに、いずんでいては、親神の心にかなわぬ。親神の守護のままに、日々、喜びと楽しみの中に生活すのが、人の世のこの上ない味である。閉された心の窓を開き、遍き親神の光を身に受ける時、自ら暗い迷いの雲は晴れて、明るい喜びの中に立つ。陽気ぐらしとは楽しみづくめの生活である。

 陽気ぐらしは、他の人々と共に喜び、共に楽しむところに現れる。皆皆心勇めば、どんな理も見え、どんな花もさく。(天理教教典第十章陽気ぐらし)

 陽気ぐらしは親神様の御守護を身に感じる事から湧き出る喜びの心です。何故なら親神様は人間が陽気ぐらしをするのを見て、共に喜び共に楽しみたいとの思し召しから人間を造られたからです。

 また、陽気ぐらしは助け合いの心から生まれるのです。自分だけ喜んで、自分だけ楽しんでいては陽気ぐらしは出来ません。

 人間は一人々々性格も違えば育った環境も違います。物に恵まれている人もいれば、能力に恵まれている人もいます。容姿に恵まれている人もいれば、家族に恵まれている人もいます。

 陽気ぐらしは、無いことを嘆くのではなく、有ることを親神様に感謝する事だと思います。