天理教本部の神殿は他では見られない形になっています。それは、屋根の形がどうのとか、材料がどうのとかではなく、建物の配置が変わっているのです。
ぢば(天理教では人間が最初に宿し込まれた場所をぢばと教えています)を囲んでロの字型の上段(外周が十一間×十間で内周が七間×七間、高さが七間の板の間、後に高さが少し下げられる)があり、その四方に東西南北の礼拝場がつながっています。
ぢばのある土間を真座と云います。ぢばにはかんろだい(六角形の台が十三段重なったもの)が据えられて、月次祭や大祭等の時にその周りでかぐらづとめが勤められます。また、板の間の上段では、鳴物やてをどりが勤められます。
礼拝場は東西南北の四ヶ所あります。
北礼拝場が一番古く、大正二年に出来ました。広さは二百七十一畳です。
南礼拝場が二番目に古く、昭和九年に出来ました。広さは五百四十六畳です。
最後に出来たのが東西礼拝場で、昭和五十九年に出来ました。広さは東も西も同じで千百七十畳です。
この神殿の形を、教祖は四方正面鏡屋敷と仰せられました。
先人の書物に、
この屋敷を、・・・中略・・・子どもの心は、良きも悪しきもみな映る。それ、神が受けとる。受けとれば、それ返しという。ちょうど、鏡の前に行けば、我が姿が鏡に映り、また、我がの目にも見えるようなもの。それで鏡屋敷という。又一つ、その寄り来る子どもを、どこにも隔てしないのが、これ、四方正面という。
と、あります。
神殿の礼拝場で参拝すると、反対側の礼拝場でも誰が参拝しています、お互いに拝み合っているのです。この姿は、相手を立てる、相手を尊重することではないかと思います。
夫婦が、親子が、兄弟が、他人同士が拝み合う、お互いに立てて尊重し合うことが出来れば、平和で幸福なくらし、陽気ぐらしが実現できるのです。
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