ハルさんは、魚が好きです。特に魚のじゃっぱが好きです。
じゃっぱとは、ウィキペディアでは「じゃっぱ」とは、津軽弁で「雑把」の意味であり、通常は魚を三枚おろしにした際に出る頭や内臓、身の付いた骨などの「粗(あら)」を指す、とあります。ようは、捨てる所です。
ある時、ハルさんが魚屋でカレイとホッケを買いました。その魚屋さんは、手際よく三枚おろしにして身だけを渡し、じゃっぱは捨ててしまいました。ハルさんは何も言えず、ただ見ているだけでした。
最近は魚を下ろすことが出来ない人が増えているようです。だから魚屋さんも親切心で三枚に下ろしてくれるのですが、ハルさんにとっては有難迷惑なのです。
ハルさんがじゃっばを食べるので、自然と身が私の所へ回ってきます。でも、私は魚があまり好きではありません。ホッケの頭を食べて美味しそうにしているハルさんに、こっちもあげると押し返します。
ハルさんは、ゴミをあまり出しません。私が捨てようとすると、まだ使えるからもったいないと、元の場所に戻します。カレーやシチューを作った時は、最後は鍋を舐めるようにして食べつくします。
ハルさんの口癖は、「もったいない、もったいない」です。
教祖のお話に次のようなお言葉があります。
「物は大切にしなされや。生かして使いなされや。すべてが、神様からのお与えものやで。」
「菜の葉一枚でも、粗末にせぬように。」
「すたりもの身につくで。いやしいのと違う。」
ある夕食の時に、キャベツの料理が出たので食べたら、硬かったので、「硬いね」と云ったら、ハルさんは「そのキャベツは月次祭のお下がりよ」と云ったのです。続けて「魚の下に敷いたキャベツだからね」と云うのです。
私はあのキャベツを食べさせられたのか、とびっくりしました。
スーパーなどで売っているキャベツは、外側の葉は硬いので神前に供える時は取ります。その外側の葉を、魚をお供えする時に皿に直接だと滑るので、魚の下に敷くのです。その硬いキャベツの葉なのでした。
こんなふうに、ハルさんは教祖のお言葉を守り続けます。息子の迷惑もなんのそのです。
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