ナオじいちゃんにも若い頃がありました。
ナオじいちゃんには一つの夢がありました。宇宙へ行く乗り物を作る科学者になりたいという夢でした。
でも、ナオじいちゃんは天理教の教会に生れ、それも長男でした。
夢をかなえたいと思う反面、教会の後を継がなければならないとも思うのでした。
きっかけは、天理教教会本部に勤めていた時でした。
急に胸が苦しくなり、何かに胸を押さえつけられているように感じました。
そこで、ふと思いました。神殿に参拝に行こう。
ふと思うは神心と言います。親神様が心に浮かばせてくれたのです。
神殿に参拝に行くと、多くの人がそれぞれに、お願いをしたりおつとめをしたりしていました。
親神様の前では、自分の事なんかちっぽけな事です。
親神様の「世界中の人間を助けたい」と云う親心を感じました。
初代の信仰者は、身上(病気)なり事情なりで手引きを頂いて信仰するようになります。
でも教会に生れ育ったナオじいちゃんは、身上も事情もありません。生まれた時から天理教の環境の中に居たので、信仰するのは当たり前だと思っていました。
当たり前ではないのです。
ナオじいちゃんは、信仰とは何だろうと考えるようになりました。
そこで、親の勧めもあり、上級教会の住込みの青年をさせてもらう事になりました。
その時にある心定めをしました。天理教の本以外の本は読まない、と云うものです。
三年の間に、上級教会にある本は片っ端から読みました。その時に読んだ本から学んだことは、今でもナオじいちゃんの信仰の基礎になっています。
信仰とは何だろうか、と云う疑問は、人間は何故生まれたのか、と云う事に繋がっています。
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