天理教の信仰は陽気ぐらしにあると云います。
いや、人間が生まれたのは陽気ぐらしをするためだ、とも云います。
昔、うちの教会に「今日も一日陽気ぐらし」と書いた垂れ幕がありました。
城山に繋がる教会にはどこにもあったように思います。
すばらしい事だと思います。
でも、陽気ぐらしとは何ですかと聞いたら、私の周りの人は明確には答えられませんでした。
陽気ぐらしは念仏ではないのです。
今日も一日陽気ぐらし、と毎日言っても陽気ぐらしは出来ないのです。
では、陽気ぐらしとは何か?
これは、私の考えですが。
陽気ぐらしには三つあります。人間と社会と自然です。
人間の陽気ぐらしは、元気で長生きすることです。
おふでさきにこのようにあります。
しんぢつの心しだいのこのたすけ
やますしなずによハりなきよふ 第三号99
このたすけ百十五才ぢよみよと
さだめつけたい神の一ぢよ 第三号100
だん/\とせかいぢううをしんぢつに
たすけるもよふはかりするぞや 第四号36
そのゝちハやまずしなすによハらすに
心したいにいつまでもいよ 第四号37
またさきハねんけんたちた事ならば
としをよるめハさらにないぞや 第四号38
高齢者が元気で居れば、医療費も掛からず、医療や介護のお金を他に使えます。
高齢者が元気で居れば、子育てを手伝ってもらう事が出来ます。
高齢者が元気で居れば、経験による多くの知恵を共有することが出来ます。
教祖のお話に
「この世に病というはさらにない、心の埃だけや、心を倒すのが病い、倒さんのが身上というて花や」
たとえ病気になっても、親神様のお手入れだと思えば、心は勇んで身体も元気になっていきます。
私たち信仰者は、元気で長生きすれば、自然と陽気ぐらしが出来、良いにをいがけとなると思います。
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