孫の勇くんがやって来ました。
「ナオじいちゃん、困っちゃったよ」勇
「何が困ったんだ?」ナオ
「聞いてよ、ナオじいちゃん」勇
「今度、天理教を知らない人に、天理教の事を分かりやすく話をしなければならなくなったんだ」勇
「どういう話をすれば良いのか悩んでいるんだ」勇
「そうだな、まず成り立ちから話をしたらどうかな」ナオ
「天理教は、何時、何処で、誰が始めたのか」ナオ
「何時は、天保九年十月二十六日、だろ」勇
「何処では、奈良県天理市三島町一番地、誰がは、教祖だろ」勇
「それじゃだめだな、もっと分かりやすく話さなくちゃ」ナオ
「天理教が始まった立教の日は、江戸時代の終わり頃、天保九年十月二十六日です。今から約百八十七年前です」ナオ
「場所は奈良県天理市三島町、その頃は大和国山辺郡庄屋敷村と言いました。庄屋敷村の中山家があった所です。私達は親しみを込めて『おぢば』と呼んでいます」ナオ
「誰が始めたのか、中山みきと云う四十一歳の女性です。夫と五人の子供を育てている主婦です。私達は親しみを込めて、『おやさま』とお呼びしています」ナオ
「たとえば、こんなふうにだな」ナオ
「次に、何故天理教と云う名前なのか?」ナオ
「簡単に言えば、天の理の教えだから天理教だな」ナオ
「天とは天然自然の事でこの世界の事。理とはことわり、法則。この世界のあらゆるものの成り立ちや法則を教えるのが、天理教なんだよ」ナオ
「では、天理教は何を教えているのか?」ナオ
「人間は何のために生れて来たのか、を教えている」ナオ
「人間は陽気ぐらしをするために生れて来た」ナオ
「では、陽気ぐらしとは何か、これを話すととても長くなるので、ここでは陽気ぐらしと一般に云う幸福との違いを話そう」ナオ
「幸福は個々人の思う事であるが、陽気ぐらしは世界中の人間の事を思うのが陽気ぐらしなんだ」ナオ
「その元になるのが、世界中の人間は親神様の子供、互いに兄弟であると云う事なんだ、それが分からなければ陽気ぐらしは出来ない」ナオ
「うん、なんとなく分かった、参考にするよ」勇
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