父の事

 ナオじいちゃんはペンネームです。父の名前「猶人」から取りました。読み方は「なおんど」です。

 父は名前をよく間違えられます。読み方もそうですが、漢字の方も。荷物の宛名に「猫八」と書いてあったものがありました。芸能人にその名前が有りますね。

 父は、浪岡分教会で生まれました。父の父、私にとっての祖父は、浪岡分教会初代会長の関佐吉と云う人です。私が小さい時に出直しましたので、どういう人だったか分かりませんが、厳しい人だったようです。

 父の母、祖母は優しい人で、うちに遊びに来たら「昔っこ」昔話をしてくれました。最後に「とっつぱれっこ」で話は終わります。とっつぱれっことは、終わりと云う意味のようです。

 父が生まれた年に、甥も生まれたようです。年の離れた兄の子供です。同じ年の叔父と甥が一緒に暮らしていたわけです。昔はそんな家庭が普通にあったようです。

 父が子供の頃に、祖父と祖母と父と一緒に、五所川原分教会に引っ越しました。それは、五所川原分教会では会長が出直して、後継者がまだ幼かったので、祖父が会長を務めるためだったようです。

 その後継者も父と同じ年齢でした。

 祖父はその後継者とは違って、父には厳しく接していたようです。

 父は祖父の命令で、油川分教会の娘(私の生母)の婿養子になりました。

 父は、理工系の大学に行きたかったようですが、あきらめて、旧制中学校を卒業した後、少しの間学校の臨時講師をしたようです。その後教会に入ったので、天理教の専修科に入りました。第一期生だそうです。

 父の事は、父は殆ど自分の事は話さない人でしたので、今まで書いたのは母方の祖母(油川分教会二代会長)から聞いたものです。

 父は習字が得意で、頼まれて祭文を書いていました。頼んだ人の話では、父の字はとても見やすいとの事でした。私は子供ですが、習字は苦手でパソコンに頼っています。

 父は本が好きで、特に時代小説が好きで、教会には売るほどあります。暇があれば本を読んでいるのが、父のイメージとして残っています。

 晩年、父は耳が遠くなりました。でも、父は困らないようです。周りに関係なく本を読んでいられるからでしょうか。困るのは私たち家族です。なかなか話が通じないのです。でも、やっと補聴器を付けてくれました。

 

 今回はこのくらいで終わります。