ハルさんは教会に生れました。
ハルさんのお父さんは厳格な人(頑固な人)で、ハルさんはお父さんに厳しく仕込まれました。
ハルさんは、学校を卒業すると、農業試験場という所に勤めました。お米や作物に関する研究をする所です。
ハルさんは土壌に関する研究をしたそうです。
職場までは、夏は自転車で、冬は電車で通ったそうです。
ハルさんは自転車が好きで、どんな遠い所へも自転車で行ったそうです。所謂おてんばだったのですね。
仕事でちょっと油断して、死にそうになった事もあるそうです。
ハルさんは、写真が好きでした。自分で撮ってきた写真を、現像したり焼き付けもしたそうです。
ハルさんは50歳の時に、仕事を辞めて私の父の所に嫁に来ました。
私の家は教会で、父や私の他に祖母と弟三人が居ました。姉はもう他家に嫁いでいましたので。
祖母は、母のお父さんのように厳しい人で、天理教の事を仕込まれたそうです。特におつとめに使う女鳴物は、琴、三味線、胡弓と全て出来るまで練習させられたそうです。「でも、そのおかげで、今の私があるのよ」とハルさんは言います。
父は無口で、いつも本を読んでいました。それも時代小説です。ハルさんとの会話は一日で何回あったのか、私はハルさんの愚痴を聞く役目でした。
父とハルさんは、何処へ行くのも自転車でした。いつかハルさんが、教会から十キロ以上も離れた場所まで自転車で来たのよ、と自慢していました。でも八十歳を過ぎてから私に自転車を止められて残念だったと思います。その代わり何処に行くのも私が車で送って行く事になりました。
ハルさんは「物を大切にしなさい」が口癖で、それを実行しました。服は穴が開いたら繕って着ます。野菜はほとんど投げずに料理します。魚が大好きできれいに食べます。
神様の御用は、何があってもしました。父が出直してからは、私が留守の時はハルさんが献饌や朝夕のおつとめをしました。
特に、上級の教会の月次祭は欠かさず参拝しました。上級の教会に行くと色々な人が寄って来て、ハルさんに話しかけます。ハルさんはニコニコと答えます。
ハルさんは、満95歳で出直しました。色々な事があったけれども、良い人生だったと思います。皆さんに喜ばれた、陽気ぐらしの一生だったのではないかと思います。
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