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上から下へ

 前回は内向きの事を書きましたが、今回は上向きの事を書きます。

 最近のおみちは、内向きと同時に、上向きになりすぎていると感じています。

 もちろん、信仰は親を立てるという事は大事ですが、自由に話し合えるはずの横のつながりでも、何か意見を言ったら、古参の人に遮られることが多々あります。

 これからのお道は、横のつながりが大事だと思っています。何かを一緒にやるためには、距離的に近い人が集まりやすいのです。

 でも、特に最近は、横のつながりでは上からのお達しを守ろうとしているだけで、何か新しい事をやろうとする気概が見えません。

 昔の話をすると皆に嫌がられますが、敢えて言います。

 若い頃支部の青年会の委員長をさせてもらった時に、交通安全祈願祭をしました。これは、私が始めた事ではなく、何年も前から行っていたみたいでした。

 何故やらなくなったのでしょう?

 また、豊作祈願祭もやった記憶があります。これは支部の行事としてです。

 これらの祈願祭は、おみちの人だけの為の願いではなく、世間一般の人たちの為の祈願祭でした。

 今で云ったら、世界平和祈願祭とか、自然災害の無くなる祈願祭とかをやっていいと思います。

 でも、そんな話はひとつも聞こえてきません。

 話は変わりますが、組織は上向きだと発展しません。下の意見が反映されないからです。組織を活性化させるのは、現場の人間の声です。組織は時間が経つと上向きになります。何故なら長に立つ人がイエスマンばかり集めるようになるからです。今の兵庫県知事然りです。

 そうならない長の人は、常に変革を求め、自己反省をして、どんな人の意見も聞きます。でも、そういう人は稀だと思います。

 おみちも然りです。

 私は教会長として、どうすべきかを常に考えています。

 親の理を立てると云うのは、当然のことです。でも、みんな人間ですから、上に立つ人でも間違うことはあると思います。そういう時は、自分の意見を言おうと思っています。

 天理教教典に次のように記しています。

会長の使命は、常に元を忘れずに、自ら進んで深く教の理を究め、心を治めて、道の先達となり、誠真実をもつて、人々を教え導くにある。 第九章 よふぼく より

 これを常に心に置いておきたいと思います。