信仰とは

 孫の勇くんがやって来ました。

「ナオじいちゃん、最近分かんなくなってきたんだ。信仰ってなんだろうと」勇

「そうか」ナオ

「今まで無我夢中でやってきたけど、これで良いんだろうかと思っている」勇

「わしは七十過ぎてから、やっと少しづつ分かってきたぞ」ナオ

「だから、勇が分からないのは当たり前じゃ」ナオ

「同じ信仰していても、分かっている人はどれだけ居るか」ナオ

「わしらは、信仰がしっかりと胸に納まっていなくても、とりあえず動いて来た。信仰してきたつもりになっている」ナオ

「でも、教祖の教えがしっかりと胸に納まっているかどうか、は疑問じゃ」ナオ

「最初、教祖が信者さんにお話をされた時、筆を持つなと言われたそうじゃ」ナオ

「それは何故か?」ナオ

「紙に書きながら話を聞くと、話が真から心に納まらないからじゃ」ナオ

「今でも、講演の話を聞く時、ICレコーダーか何かに録音しておけば、後でゆっくり聞くから良いと思うだろ」ナオ

「でも、後で聞く事はなかなかない」ナオ

「教祖のお話は、その時だけしか聞けない話だから、その時心にしっかりと納めていなければならないのじゃ」ナオ

「だから、昔の先生方は真剣に教祖のお話を聞かれた」ナオ

「そして、次の人にその話を伝えたのじゃ」ナオ

「そうやって、信仰が伝わっていった」ナオ

「でも、教祖は明治十四年頃から、こうきを作れと言われたそうじゃ」ナオ

「教祖が話された話をまとめよ、と云う事じゃな」ナオ

「つまり、紙に書けと云う事じゃ」ナオ

「それは何故かと考えたが、教祖は現身を隠されることを前もって分かっていたから、現身を隠すと教祖が直接お話をする事が出来なくなるからじゃと思う」ナオ

「今でもこうきと呼ばれるものは無いが、それに近いものはあるのじゃないかと思う」ナオ

「わしたちは、教祖から直接お話を聞く事は出来ないが、教祖がお話されたことを書いたものはあるので、それを信仰の指針とするしかないのじゃよ」ナオ

「うん、分かった、教祖のお話が書かれた本を読むぞ」勇