何故人間は環境が違って生れて来るのか

「人間は一人として他の人間と同じ人間は居ない」

「また、育った環境もそれぞれに違う」

「大金持ちの家に生まれて来た子供もいれば、貧乏の家に生れて来た子供もいる」

「同じ両親の元に生れても、生まれた時期によって違う」

「こんな話を聞いたことがある」

「親が若くて勉強熱心な時に生れた子供は、勉強が好きだ」

「また、親が一生懸命働いていた時に生れた子供は、働くのが好きだ」

「ウソみたいな話だが、ワシはそうなのかもしれないと思っている」

「人間には、持って生まれたものがある、それは外見や能力だ」

「背が高いとか、顔が綺麗だとか、頭が良いとか、器用だとか、またその逆とか、いろいろにある」

「では何故、外見や能力や、環境が違って生れて来るのか?」

「それには、かしものかりものが分からなければ、分からない」

「おふでさきに次のようにある

  めへ/\のみのうちよりのかりものを

  しらずにいてハなにもわからん 第三号 137

 私たちは、親神様からこの身体を、両親を、周りの環境をすべて借りて生れて来たのだよ」

「そのことが分からなければ、何故自分がここに居るのかは分からない」

「そして、その人の魂が前生行ってきた事に合わせて、生まれる時の環境(何を借りて生れて来るのか)が決まる、これを前生のいんねんと云う」

「このように教祖は教えて下さっている」

「正文遺韻に次のようにある

いんねんというは、前生ばかりいんねんというのじゃない。悪気ばかりがいんねんじゃない。この世でも、十五歳よりこのかた、してきたことは、良きも悪しきも、みないんねんとなる。又、前生良きことしてあれば、いんねんとなりて、この世で現れるか、次ぎの世で現れるか、必ず現れないということはない。悪しきこともその通りであるけれども、良きいんねんは皆一れつ喜ぶことゆえ、すぐと現しすぐと返して下さる。けれども、悪しきいんねんは、出来るだけ伸ばしているという。」

「また次のようにもある

 又一つ、前生よりのいんねんは、善悪共に七層倍の返しをするという。どんな知者、学者、老人といっても、逃れるに逃れられんというは、いんねんの理。その災いは三つあるという。それ、火難と水難と、我が身に受ける病難は、たとえ偉い剛の者でも、逃れることは出来ないであろう。」

「我々はお互いに、悪いいんねんは積まないように、良いいんねんを積むようにしなければならんな」