「おみちの信仰では、世間とチョッと違う考え方をすることがある」
「前に話した、『自分の事はお願いしない』もそうだが、一見何故と思うことがある」
「その一つに、戦勝祈願はしないがある」
「今は受験シーズンだから、大学受験、高校受験、都会では中学校や小学校、ひいては幼稚園まで受験がある」
「おみちでは、受験の合格祈願もしない、と言ったら、受験生の親には何と言われるか・・・」
「でも、教祖の教えでは、そうなんじゃよ」
「片方が勝つ事を願えば、もう一方は負けることを願う事になる」
「どちらも親神様の子供だから、どちらも可愛いから、親神様は片方に勝たせたいとは思わないのじゃないかな」
「戦争もそうじゃな」
「人情的には、あの国に勝たせたいと思うかもしれんが、信仰的にはそれは違うな」
「おみちの人間としては、どちらも遺恨が残らないように、戦争が収まる事を願うのが良いのじゃないかな」
「おさしづに次のようにある
反対する者も可愛我が子、念ずる者は尚の事。なれど、念ずる者でも、用いねば反対同様のもの。明治二十九年四月二十一日」
「また、正文遺韻には次のようにある
この道は、信心している者も、又、していない者も、みな同じ様に思って、みな隔てないようという。それ、いかなる者をも敵と思わないよう。」
「宗教によっては、信仰しない者は地獄に落ちる、と教えるものもある」
「でも、教祖はどんな人でも、反対する者も、拘引に来る者も、優しく対応された」
「教祖はどんな人でも敵とはされなかったのじゃ」
「その教祖の想いを我が想いとするのが、この道の信仰者ではないかな」
「前に戻って、今の受験戦争ではどういうふうに親神様に願えばよいのかじゃが」
「わしは、『何々さんが受験で実力を発揮出来るように、自分に合った学校に入学出来るように』と、親神様に願っている」
「仮に、希望の学校に入れなくても、親神様はその子に合ったところを準備していると思うから、すべて親神様におまかせすれば良いのじゃよ」
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